27歳女性変死「疑惑のベルギー人神父」が現れた羽田空港“緊迫の15分間” 通報した出国審査官に警察が放ったまさかの言葉【昭和の未解決事件】

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6月11日に羽田から出国

 1959(昭和34)年3月10日、BOAC(英国海外航空、後に合併してブリティッシュエアウェイズ)の客室乗務員T子さん(27=当時)が遺体となって発見された。場所は東京の西を流れる善福寺川。重要参考人とされたベルギー人神父(38=当時)は日本から出国し、事件はそのまま迷宮入りとなった。

 昭和の未解決事件として有名な「スチュワーデス殺人事件」。5回の任意聴取に応じていた“疑惑の神父”が出国したのは、同年6月11日の羽田空港だった。法務省入国管理局にはこんな記録が残されている。

「ベルギー人ルイ・ベルメルシュ神父は、昭和三十四年六月十一日午後七時十五分ごろ、出国手続のため、東京入国管理事務所羽田空港出張所に、他の神父数人と共に現われた。同時刻、出国事務を担当していた入国審査官A(※)は、本人の提出した出国記録と旅券並びに外国人登録カードを点検したところ、同人がかねて警視庁蒲田署から、“スチュワーデス殺人事件”の重要参考人として連絡のあった神父であることに気づいたので、ただちに蒲田署羽田空港支署へ電話通報した……」(※は編集部による仮名)

 報道合戦が過熱し、松本清張氏の『黒い福音』のモデルにもなったこの事件。謎解きはほかに譲り、ここでは「神父の出国に居合わせた入国審査官」に注目する。事件から12年後、定年退職で“元審査官”となっていたAさんが「週刊新潮」に明かした「羽田の15分間」とは――。

 ***

(「週刊新潮」1971年1月9・16日号「ベルメルシュ神父日本脱出『羽田の十五分』」を再構成しました。肩書、年齢などは掲載当時のままです)

乗客名簿にまさかの名前

 当日、私のカウンターには、ベルメルシュ神父の名前の含まれている蒲田署からのウォッチ・リスト(出国をチェックしてほしい旨の依頼人リスト)と、もし同人が現われた場合、連絡すべき検察庁の直通電話をメモした2通の書類が、旅行者には目のつかない位置にはられてあったのです。

 そこで、エール・フランス機の出発1時間前に届いた乗客名簿になにげなく目を通していると、ベルメルシュという名があるではありませんか。

 これは大へんだ、ほんとうに現われたらどうしょう――新聞でベルメルシュ神父の顔を見たことはあるが、カウンターには写真の手配まではなかった。もしなんのかのと本人に弁解されて、ウカツに出国させてしまったら、私のクビの問題にもなりかねない。

 そう思うと、私はずいぶん緊張しましたよ。新聞を読んでいて、私自身、日本人としての気持もあった。日本の女性が殺されているのに、その重要参考人を国外へ出してたまるかという気持ですね。

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